玄米を噛むことで起きた、食事の変化
食事って、本来こんなに急ぐものだったっけ?
噛むって、ただの作業じゃないの?
玄米を食べるようになってから、
自分の中でいちばん大きく変わったのは、
「何を食べるか」よりも
**「どう食べているか」**でした。
それは意識して変えたというより、
玄米という食べものに
そうさせられた
という感覚に近いです。
咀嚼回数が、自然と増えた
白米を食べていた頃、
正直に言うと
自分が何回噛んでいるかなんて
考えたこともありませんでした。
噛まなくても食べられる。
飲み込めてしまう。
それが当たり前でした。
玄米は違います。
噛まないと、進まない。
噛まないと、飲み込めない。
噛まないと、味が出ない。
「よく噛もう」と決めたわけではなく、
噛まないと終わらない
それだけの話です。
結果として、
一口ごとの滞在時間が長くなり、
自然と咀嚼回数が増えていました。
食べる時間が、伸びた
もうひとつ変わったのが、
食事にかける時間です。
以前は、
- 作るのに30分
- 食べるのに3分
そんな日も珍しくありませんでした。
玄米にしてから、
このペースが成り立たなくなりました。
急いで食べようとしても、
体がついてこない。
噛む
味を感じる
飲み込む
この一連の流れを飛ばせない。
結果として、
食事の時間が伸びました。
不思議なことに、
それを「遅い」とは感じませんでした。
むしろ、
ちゃんと食事をしている
という感覚が残るようになりました。
「胃に運ぶ」から「味わう」へ
振り返ってみると、
以前の食事は
「胃に運ぶ作業」だったように思います。
空腹を満たす
エネルギーを入れる
次の予定へ進む
そこに
味や感覚が入る余地は、
ほとんどありませんでした。
玄米は、
それを強制的に止めます。
噛むことで、
初めて甘みを感じる。
時間をかけることで、
香りや食感に気づく。
食事が
通過点から
ひとつの時間に変わりました。
変わったのは、玄米だけじゃなかった
この変化は、
玄米を食べているときだけではありません。
ほかの食事でも、
噛むようになりました。
早食いに戻ろうとしても、
どこか違和感が出る。
「味わわずに終わらせる」
という食べ方に、
戻れなくなっていました。
これは
我慢でも、努力でもありません。
ただ、
一度知ってしまった感覚を
手放せなくなった
それだけです。
噛むことは、特別なことじゃない
咀嚼回数を数えなくてもいい。
時間を測らなくてもいい。
意識高くなる必要もない。
玄米は、
噛まないと進まない。
だから、
結果として
噛むようになる。
このシンプルさが、
私には合っていました。
次回は、
なぜ発酵玄米に落ち着いたのか
について書こうと思います。
味、体感、続けやすさ、
そして生活とのなじみ方。
「これが正解」ではなく、
**「これが自分に合っていた理由」**として、
正直に書いていきます。
ではでは 感謝感謝!!


